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鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が、定家の流れをくむ冷泉家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(同)が18日、発表した。注釈書の写本が重要文化財に指定されているが、直筆書が確認されたのは初めて。専門家は「国宝級」と評価している。
【写真】これは貴重…藤原定家直筆の「顕注密勘」が入っていた「古今伝授箱」
顕注密勘は、平安初期に編さんされた日本最初の勅撰(ちょくせん)和歌集である古今和歌集の注釈書。平安末期~鎌倉初期の僧・顕昭(けんしょう)が記していた注釈「顕注」に、定家が解釈「密勘」を加え、1221年にまとめた。
古今和歌集の代表的な注釈書として貴族らの間で広く読まれ、鎌倉時代に書かれた写本が1993年に重要文化財に指定されている。
直筆書は、冷泉家が蔵で保管していた「古今伝授箱」(縦約35センチ、横約50センチ、高さ約55センチ)に入っていた。縦18センチ、横約17センチのほぼ正方形の用紙をつづった冊子で、直筆は3巻のうち中・下の2巻(112~123ページ)。上巻は焼失し、後世の当主が記した写本だった。
「定家様(ていかよう)」と呼ばれる特徴的な字体で書かれ、ペンネームとして用いていた「八座沈老(はちざちんろう)」の文字や花押なども確認できた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/895093c828942b1b094bb1dae881825ba798e402
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↑より引用
『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代の歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの[注 1]。醍醐天皇の命により編纂され、905年に奏上された。後世の勅撰和歌集の範となり、国風文化・日本文学に影響をのこした。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。
藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した書物「顕注密勘」の原本が見つかる
定家様(ていかよう)と呼ばれる独特の書体で書かれ「八座沈老」という定家の署名もhttps://t.co/pzm7o4fmhL#nhk_video pic.twitter.com/zPn9jy2nfo
— NHKニュース (@nhk_news) April 18, 2024
【歴史的発見】藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書が見つかるhttps://t.co/whcswyV2Ij
冷泉家が蔵で保管していた「古今伝授箱」に入っていたという。注釈書「顕注密勘」は写本が重要文化財に指定されているが、直筆書が確認されたのは初めてで、専門家は「国宝級の発見」と評価している。 pic.twitter.com/x7F2WBeK54
— ライブドアニュース (@livedoornews) April 18, 2024
そんなに劣化していないのが凄い!
保存状態が良かったんだろうけど、和紙と墨のコンビに脱帽— みっぽん|kindleデザイナー (@mippondesign) April 18, 2024
へー。
すげぇなぁ、まだこのレベルの物が見つかるもんなのね— ただの通行人A (@thukounin112233) April 18, 2024
古今和歌集の注釈書、藤原定家の自筆が令和のいま発見されるとは!
(古今和歌集を編纂させた醍醐天皇は #光る君へ で瀧内公美さん演じる源明子の祖父です。源氏物語冒頭に描かれる、光源氏の父・桐壺帝のモデルとも言われています)https://t.co/7CikbeRgST
— うずら🐈モダスパ+plusの中の人 (@caille2006) April 18, 2024
大発見です! 大河のタイミングでと言うのも驚きです。
冷泉家が定家の直筆の古今和歌集をずっと守ってきたことは、大昔からわかってきたことだろ?
何を今更??
冷泉家には整理されてない「お宝」が山ほどあるんだけど現代人が思うような目録はないしどこに何があるかそれ自体が歴史を解き明かす鍵になりかねないからむやみやたらに開けるわけにいかない
万が一にも破損させるわけにいかないから調査は限られた研究者の手でゆっくり進められてる
大学に懇願されて資料提供したらボロボロで落書きみたいな事されたとかあったからな
ええーほんとに??
何世紀も後に記録を残すにはこれなのだな
DVDなんか20年でアウト
ところが紙魚がいるから、紙も怪しい
↑より引用
冷泉家(れいぜいけ)は、藤原北家御子左家の流れを汲む公家・華族だった家。上冷泉家と下冷泉家があり、公家としての家格はいずれも羽林家、華族としての家格は上冷泉が伯爵家、下冷泉が子爵家だった[2]。歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承している。
130年ぶりに現物を見たそうだよ
元々、当主しか見られなかった代物
謎が解けるかな?
平安時代の人にとって古文なんてペラペラでしょ?
短歌だからな
元ネタとかいろいろあるんだろう
史料の調査把握が全部済んでなかったりするのかな
近衛家とか細川家はバッチリやってそうだが
冷泉家なら無償でも喜んでやる人が多そうだけどなw
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