東京大学(東大)は4月4日、これまでは「輸送による破損」とされていた、1920年に岡山県で発掘された縄文人の頭骨に、鋭利な利器(刺突具)で破壊的に孔が開けられた痕跡があることを発見したと発表した。
同成果は、東大大学院 理学系研究科 生物科学専攻の平野力也大学院生、東大 総合研究博物館の海部陽介教授らの共同研究チームによるもの。
詳細は、日本人類学会が刊行する人類学に関する欧文学術誌「Anthropological Science(Japanese Series)」に掲載された。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
マイナビニュース 2024/04/05 15:08
↑より引用
縄文時代(じょうもんじだい、旧字体:繩文󠄁時代)は、日本列島における時代区分の一つである。旧石器時代の後に当たり、世界史では中石器時代、または新石器時代に相当する時代である。
↑より引用
【発表概要】東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の平野力也大学院生は、1920年に岡山県で発掘された縄文人の頭骨に、鋭利な刺突具で破壊的に孔をあけた痕跡があることを発見し、東京大学総合研究博物館の海部陽介教授とともにその成果を報告しました。
昨日紹介した縄文の頭骨ですが、孔はなぜ人為的といえるのでしょう?
発掘時や輸送時とちがって、死亡前後の骨の弾力が失われていないときにできる損傷の特徴として、放射状に拡がるひび割れや、孔が内側へ拡大している様子がみえることなどが根拠です。銃弾が貫通したときも同様の特徴が生じます。 pic.twitter.com/AAhbxgM2e3— 東京大学総合研究博物館 UMUT (@UTokyo_museum) April 5, 2024
「縄文時代人骨における人為損傷の新報告と既存3例の再検討」
著者名:平野力也*・海部陽介
「骨が語る人の生死」東京大学総合研究博物館。
会期は大幅に延長されています。
平和な縄文時代は幻か。
とりあえず、実物を観察してみよう。
そこから考えることが大事かもしれませんね。 pic.twitter.com/Ohi8t3wS6i— 古代人? (@Kikiki93886931) April 4, 2024
開催が2024年5月16日まで延長された東京大学総合研究博物館を会場とした「骨が語る人の生死」展で一部の人骨が公開されているようです。入場は無料との事なので気になる方はこちらからどうぞ↓
論文はこちら↓
↑より引用
この損傷について,肉眼およびCT画像を用いて法医人類学的観点から検討したところ,それは典型的な人為損傷の特徴を示し,形態的に「刺器損傷」に分類すべきものであることがわかった。
考古学は新しい発見から定説が覆される事が多い分野なのでロマンがあります。
渡来人と縄文人が争闘した証拠はないよ。
なことはもはやない
なお、この頭蓋骨は特に状態が良かったもの
https://www.sankei.com/article/20180815-AXJUJJVBLRJ7BNNK5ROY4U6XX4/
弥生時代に謎の大量殺戮? 大量の人骨をDNA分析、弥生人のルーツたどる 鳥取・青谷上寺地遺跡
https://www.sankei.com/resizer/o2TrsqPxREgzXTLy7LdMNFGSO9o=/480×600/smart/filters:quality(40)/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/sankei/NCWXOA4EIFJU5J63PQABQFXXU4.jpg
鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市)や国立科学博物館(東京都)などが連携し、鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生時代後期(2世紀後半~3世紀)の人骨のDNAを分析する研究を始めた。
弥生後期は、大陸や朝鮮半島からの渡来人と在来の縄文人の混血が進んだ時期と考えられるが、人骨の出土例は全国的にも少なく、DNAが本格的に分析されるのは今回が初めて。日本人の成り立ちの解明につながる成果が期待される。
頭蓋骨に閉じ込められた魂を天に還すためとか?
そりゃ、そういうことも可能性としてはあるだろ
古代インカ帝国では(神秘主義的な)頭部穿孔が流行していたとする者もある。
これの可能性はあるのかね。
知らんけど
インカ文明・帝国における穿孔術は、70%が成功していたんだよな
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/070400041/
インカ帝国、そして中南米・北米の諸文明・文化の主要な武器は棍棒や斧だったから、
頭部受傷による脳内血腫の患者に対する外科医の対応が穿孔術だったのではないか、という推測は成り立つだろうし、
当時の日本が同様の状況だったんじゃないかという推測も、同様に成り立つだろう
穿孔術かどうかは穴の形やその後の治療痕で分かる
雑に頭蓋骨が割れてて治った形跡もないなら、少なくとも穿孔術ではない
どんなに治安良くなっても人が集団でいるかぎり殺人をゼロにするのは無理なんだから
○○時代なんか後から勝手に名前をつけただけだし。
弥生時代や明治時代になって急に変わるわけじゃない。
そんなわけないって
縄文人は準農耕で定住してたから、弥生人程ではないにせよ、殺し合いがあった可能性はあるだろ
狩猟採取民にとって良い狩り場の確保は死活問題だろうし、人口密度も
農耕民から見たら比較的低いだけで、狩猟採取民として環境収容限度
一杯にまで人口はいたはず
草食動物みたく、広大な地域を常時放浪しながら移動生活していたなら
まだしも、曲がりなりにも小屋を立てて住んでいた縄文人にとって他部族と
狩り場を分かち合うような余裕はなかっただろう
それじゃ効率が悪いし人口も増えない
自然増がないほどの過酷な環境じゃないから、人口が増えないのは、自然増で土地の生産力を超えた分は餓死するか
戦死するからだぞ
で、そこで戦争じゃなくて餓死を選んだ部族や戦争に負けた部族は消えて、好戦的で戦争に強い部族だけが残る
村ごとに20kmの森が必要な狩猟採集VS狩猟採集だとそうなるよね、飢饉とかのときは特に。
そこで農耕の技術によって、より多くカロリーを得られるようになると、人口が飛躍的に増えて
分業が起こって文明が出来たわけで
>>35なんかは復元するために特に状態がいいものを選んでんだよね
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