奈良県桜井市の纒向(まきむく)学研究センターの研究紀要で4月23日に公表した。
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「伊都国(いとこく)」の都とされる三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡(福岡県糸島市)で2016年、弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)のすずりが見つかったことに注目。邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市、3世紀初め〜4世紀初め)の出土例も含め、中国・近畿地方も含めた西日本一帯で、弥生時代などの石製品の実測や探索を進めた。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200503000718_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200503000717_comm.jpg
https://www.asahi.com/articles/ASN5340WDN51POMB002.html
今もわからない
俺も
なぜか開明書液は許可出たけど
中東の砂漠の端っこで聖書とか書いたり、ローマ皇帝が布告書を出してた時代に、日本で文字がないと考えるのが異常。
漢字の導入とかは、今まで個別に古代文字や漢字混用してたのを、東アジア圏共通文字の漢字に統一したというだけだろ。
あたかも現代において漢字ひらがなを廃止して教育と公文書を英語に統一しようという流れみたいなもんだろ。
だからその文字が記された碑文なり遺物はどこにあるんだと
現物はどこかと
正直紀元前くらいから文字は多少使われてたとは思うな。
中国から船で文具を持ったまま流れ着けば、日記や詩を多少認めるだろうし、
それはその後きれいさっぱり歴史から消える。
全うな歴史書なんかができるってのは文字の流入からかなりの期間がたってからの話だよ。
理由のひとつは大和朝廷が徹底的な焚書をしたから
続日本紀にもフツーに書いてあることだ
それな
腐敗しやすい竹簡以外にも記述された石碑文なども破壊
大和朝廷天皇家の歴史捏造はカリアゲや韓国もビックリw
記紀原理主義だよな。
史学、考古学は日本では成り立たない。
無理。
大陸王朝の末裔なのだから文字を使うのは至極当然なこと
重要なのは彼らが古代シナ語を日本に広めるのではなく
日本語を受け入れ、漢文を日本語で読み下す技術を開発したこと
これがなければ日本は完全にシナの一部になっていただろう
漢字導入以前でも大陸から書物が入ってきたら内容の解説を日本語で残すと思うが
もしそんな書物があったとしても
記紀の普及に全力を挙げていた大和朝廷が徹底的に回収&焚書しただろうな
日本統一のためにやむを得ない措置だったのだろうが
国書を携えた国使が魏に行ってるから
日本人に文字を教えてやったと嘘をつき、恩に着せる朝鮮人は
古代末期から中世初期までシベリアで石器狩猟生活をしていた
王仁はシナ人であり、日本の皇室の子女の家庭教師として百済王が献上した
王仁が持ってきたとされる千字文は後世の本であり、時代が合わない
古墳の埋葬者がわからないのは、なぜ?
神武は東征したのではなく
近畿日本に請われて頭に据えてもらった雇われ店長であり
記紀は神武東征を捏造するために書かれたものだから
邪馬台国が貰ったと思しき景初三年(238年)の銘が入った鏡が出土している
おそらく権力の中枢にいた層は文字を読めたと考えられる
日本は高温多湿であるため、記録が残りにくいこともあり、古いものは金石文
(石や金属に彫りいれたり、象嵌をしたもの)になってしまう
なもんで、日本人が残した文字として最も古いのは
埼玉県の県名の由来となっている「さきたま」古墳群の稲荷山古墳鉄剣銘(国宝)だろう
これは雄略天皇に仕えた武官が代々、古墳時代初期から大和朝廷に仕えてきた系譜と
鉄剣を作った経緯を鉄の剣に金の線を埋め込んで書き残している。
これが作成されたのは辛亥年(西暦だと471年)七月と書いてある。
それは木片や枝、炭で代用できるとして
そもそもの文字は?
文字は漢字だよ。当時は日本語を表すのに万葉仮名というのを使っていた。
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